教育について

先生とは…

先日、とある失敗をしてしまったときに「そんなことでいいのかっ!おまえは卓球の指導をしているときに、卓球を通して自分の生き方を子供たちに伝えているのだろう?そんなことで、子供たちの前に立てるのかっ!」と、一喝された。耳が痛かったが…なんだかんだで、自分に出来ることは、生き方を教えることではなく、卓球のやり方だけです。
それを通して、子供たちがなにを感じるのか?それは、僕にはわかりません。ただ、子供たちができる限り正しい選択が出来るように導いて上げたいと思います。そして、そのために僕自身が正しい必要はあまりなく、ありのままを見せていくことが重要であると考えます。

一事が万事という言葉がありますが、人間をそう簡単にひとくくりで考えてしまうのは、あまりにも狭量でしょう。

とはいえ、多くの子供たちに信頼してもらっているので、それを裏切らないように、自分自身を向上させていく必要は感じます。

今日読んだブログ

教育基本条例について (内田樹の研究室)

内田樹さんの教育論。

同学齢集団の仲間を蹴落として、相対的な優位に立てば、社会資源の分配において有利になると教えられている。
いい大学に行き、いい企業に入り、いい地位に就き、いい年収を獲得するために勉強するのだと教えられている。
それが常識だと思う人もいるかも知れないが、これは一つのイデオロギーである。

がーん。そうか、僕たちは知らないうちに、そう思い込まされていたのか?あるいは、そう思いたかったからそう思ったのかもしれない。

例えば、明日いきなり今の仕事を辞めたら、どう生きていったらいいか?というより生きていけるのか?得も言われぬ不安に襲われます。その不安の元になっているのは、自己利益が無くなるという事実。自分のベースになっているイデオロギーが崩壊する恐怖だったのです。

今の時代を生きていくためには、この観念を打ち破って、自由にならないと潰れてしまいそうです。

みんなが、仲良く生きていくことはできないのか…競争社会は、あたらしい技術革新を生み、物質的豊かな生活を提供してくれますが、そんなに急いで生きていかなくても、明日は来る。そうではないですか?