人生における選択に、正しい選択 or 間違った選択なんてものはないと思う

そもそも、正しい、間違いなんてものは、結果から導かれるものであり、選択する時点で結果が分かる事は、人生における選択において、ほとんど無いと思う。


だから、その選択が『間違ってるんじゃないか?』なんて、疑心暗鬼にかられながら悩むよりも、選択した事を、正解に導くためには次に何をしたらよいのか?を全力で考えていけばいいのだ。


この世の中は、できない理由であふれている。
例えば、あなたが今、右手にボールを持っているとして、そのボールを、前方にあるテーブルの上に置くとしよう。
きわめて簡単で単純な動作なので、絶対できると考えるのが一般的であるが…
その瞬間、急に地震が来たら失敗するのではないか?
あなたが、心臓発作を起こして、倒れてしまい失敗するのではないか?
猫が、あなたからボールを奪って逃走し、失敗するのではないか?
馬鹿みたいな心配事だが、そう考えていけば、いくらでも失敗する理由は山のようにある。
と、言う事は、そんなマイナス方向に思考を働かせる事は、非常に無駄であることに気がつくだろう。


ひとまず、まとまらないけど、そんな事を考えました。

ブックオフの店員が結構な具合に無愛想な件

自らの負債を整理するために、所有物をブックオフに売りまくっているのだが、店員がとっても無愛想
「いらっしゃいませ」とか、言葉はそれなりにまともなんだけど、顔が死んでる。。。
僕の主観なので、騒ぎ立てるほどの事ではないが、日記に書いてもいいレベルの出来事だと思う



古い漫画や、CDが多いので、多少でも値段がついて買い取ってくれる事が、こっちとしては、ある程度ありがたいのではあるが、たとえば、前回CDを持って行ったとき、査定終了後に買い取りしてくれる物と、買い取りしてくれないものとを区別して置いてあるのだけど、なんで買い取りしてくれないのかとか、説明が不十分
むしろ、買い取りできないような物を持ち込んだ客の方が悪者のような雰囲気がいたたまれない


客は、大事にな仕入れ先だぜ
売りに来てくれる客がいなかったら、商品が売る物が無いのだから、安くても売ってくれる客に対してもうちょっと、気を遣ってくれてもいいんじゃんかー


笑顔は原価ゼロ
まぁ、時給900円だとして、笑顔にかかる時間が2秒だとすれば、0.5円はかかるのか?

手段が目的になってしまうことが多い

「現役GoogleプログラマーがすすめるiPhoneアプリ一覧」ってのがあった
似たような機能のアプリが複数列挙されていて、

  • この場合はAアプリ
  • この場合はBアプリ

と、使い分けをしているみたい

その都度、判断、決定のコストを払っているのは、あまり合理的でないな〜と
多少不便でも、最大公倍数的なもの1択になっていないと、自分の場合
アプリを選択する事が、目的になってしまいそうです

あくまで問題提起って言う事だとは思うが…

こんな記事があった。

自分も、かつて悩んだ末、解決できずに先輩に相談に行ってみたら


「もっと早く聞きに来いよっ!(怒)」


と、よく言われた。いや、今も言われるかもしれない(^^;


で、大概こういう人は、相手の状況は関係なく、全て自分の価値観で考える事が多い。
今回の場合、たとえ新人君が本気で30分悩んでから聞きに行ったとしても


「本当に30分悩んだの?こんな事で?」


みたいな言い方をするのだろう。僕の経験からの推測だが。


で、元の記事では、問題提起って言う意味で、質問に来ない新人君だけの責任を言及しているのだと思いたいが…
実際問題として、質問してもらえない先輩さんにも原因があるだろう。


気軽に質問してもらえない理由は


・怖そうだから
・忙しそうにしているから
・質問してくるなオーラがでている
・質問したらしたで返り討ちにあう
などなど


双方に問題があるにせよ、先輩さんの対応次第で、自分自身のストレスも減るだろうし、互いの作業も効率よくなるだろう。
それを、あいつは質問してこない、来たら来たでロクでもない質問をして来やがった、みたいな事では、互いの効率も落ち、会社にとって不利益。
新人君がどうのこうのと言う前に、先輩さんには会社として利益を最大限にしていくためにはどうしたらよいか、考えてみて欲しい。


それが、新人君に対して『甘い』(これ自体が先輩さんの主観でしかないので無意味な基準だが)対応になったとしても、社会人として正しい行いになるのではないだろうか?

すしざんまい

カンブリア宮殿、毎週見てますか?

前回は、寿司チェーン「すしざんまい」を経営されている喜代村社長、木村清さんが出演。
さっそく「すしざんまい」と「喜代村」を調べてみようとググるものの、全くヒットせず…


はて(・_・")?


結局、ヨドバシAkibaのレストラン紹介から見つけましたが…
とりあえず、秋葉原に寿司を食べに行きたくなりました。


■つきじ喜代村「すしざんまい」http://www.kiyomura.co.jp/index.html

○○がお金に変わっている

凄惨な殺人事件が、ニュースなどで取り上げられているが、これらの事件を
バラエティ寄りの報道番組が、時間をかけて取材し、多くの時間を割いて
放送している意味は、視聴率が獲れるからだろう。


人の死が金になるんだ。


センセーショナルな事件は、みんなの関心を引く。
みんな知りたいと思う。
その欲求を満たすべく、番組が構成され、放送される。
番組を見る視聴者は、その番組内で放送されているコマーシャルを見る。
スポンサーは、そんな視聴者に宣伝を行う。


システムとして、確かに機能していくだろう。この仕組みは。


しかし、間違いなく、殺人事件が放送されている瞬間、殺人事件によって
収入を得ている人たちがいるのだ。


僕の狭い視野による、ステレオタイプな物の見方ではあるが、
こんなこと、真っ当な状況では無いと思う。

すっかり

お盆休みを挟んだせいで、すっかり投稿癖が抜けてしまったな…

はてなブックマーク人気エントリー*1にあった「ある大学でこんな授業があったという。」という記事が、とても良い話だとおもった。
身近にある出来事は、たとえ重要でも、案外後回しにしてしまうことが多い。

今じゃなくても、いつでもできる。

そう思って後回しにしたことが、本当に実行されることは少ない。
そのときに出来ないことは、やっぱり後になってもできない。


だからといって、そのこと自体を悲観する必要はないだろう。
結局、そのことは、その人にとって実は重要ではないことが多いからだ。


でもね、それで後悔することも多い。
自分にとって大切なことは、失ってみないと気がつかない。灯台もと暗し。大正デモクラシー。
どうしたら、自分にとって大切なことを失わずに気がつくことが出来るのだろうか。
気づいてもらうことが出来るだろうか。


『至誠、天に通ず』


まごころを持って接すれば、願いは届くのだろうか。
まごころを持って接するとは、どういう事なのだろうか。
相手との間に流れる空気を読みまくることなのか。
それでは相手に合わせているだけで、自分の信念が無い。


まごころとは・・・なんだ?

あなたが変わるまで、わたしはあきらめない

あなたが変わるまで、わたしはあきらめない

*1:ここは「はてブホッテントリ」って書くよりも正確に書いた方がやっぱわかりやすいと思う。どうでもいいけどね。